民塾長のちょっといい話63

前回の「少女があった」の続きです。人にも「あった」という表現を使うかどうか国語の先生に聞いたところ、「存在することや位置することを意味する『在る』は人などに使うこともある」とのことでした。また、50年前の私が授業で取り上げた内容(前後の文脈から、「少女があった」という表現は、京助がアイヌ語の調査のため樺太に渡って間もない頃のことで、どのようにして言葉を調べたらいいかと途方に暮れていたときのもので、言葉が通じないために「人」というよりも「物」としての見ていたことから「あった」を使ったのではないか)の解釈も間違いではないということも教えていただきました。

原本の「心の小径」を調べたところ、「唐子のような着物を着ているのがひとりあった」、「ことばこそ、固くとざした心の城府へ通う唯一の小径であった」という新たな発見もあり、無我夢中だった教師駆け出しのころの懐かしい自分に出会うことができました。

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